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キース・ヘリング 子ども達に愛された画家。親子で楽しむアート
2020/08/06

今日は僕の大好きな一人の画家を紹介します。

80年代ポップアートのスーパースター、

キース・へリングです。

ストリートアートの先駆者とも呼べる画家で、地下鉄に描いたアートで有名になっていきました。

バスキアと同世代でアンディウォーホールやマドンナとも友達だったんですよ。

何て熱い時代のニューヨークだったんだろうと思いを馳せずにはいられません。

なぜ彼は地下鉄やストリートに絵を描いたのでしょうか?

それは彼の持つLOVE&PEACEの気持ちからきているのだと思います。

今日は子供達にもわかりやすい、キースヘリングの絵本があるので、この本をガイドにしながらキースについて知ってみましょう!

絵本 キース・ヘリング〜ぼくのアートはとまらない!

キースヘリングについてわかり描かれた絵本です。読むと、とても愛情溢れる人だったんだなぁと感じます。

キース・へリングの生い立ち

キース・ヘリング(Keith Haring、1958年5月4日 – 1990年2月16日)

わずか31年間の短い人生を駆け抜けました。

アメリカのペンシルベニア州レディングで生まれ、カッツタウンという町で育ちました。
彼はとてもクリエイティブな子供で、幼少時からアートに興味を示していました。

父親によって、アニメ系のイラストを教えられ、ディズニー等のポップカルチャーに強く影響されました。


1976年に、The Ivy School of Professional Art(アイビー・スクール・オヴ・プロフェッショナル・アート)というカレッジに入学し、グラフィックデザインを専攻しましたが、
「自分はグラフィックデザインに興味がない」と見切りをつけ、2学期には退学してしまいました。

この頃の図案に対する探求が、キースの作風をもたらしているのだと思われます。


その後、独学でアート活動を続けていき、ピッツバーグのローカルアートセンターで展示を行い活動を広げていきます。

1988年、AIDSと診断され、翌年に恵まれない子どもたちへの基金やHIV・AIDS予防啓発運動を継承していくための財団を設立しました。

1990年 享年31歳

短い人生でしたが、亡くなるまでアートを通して社会活動にも積極的に関りました。

なぜキース・ヘリングは地下鉄に絵を描いたの?

キース・ヘリング DJ

キースへリングといえば、彼が有名になるきっかけとなった、

地下鉄に描いたストリートアートがとても有名です。

なぜ、地下鉄に描いていたのかって?

通勤する人を少しでもハッピーにさせたかったからなんですよね。

だから電車に描くのではなく、ホームにある黒板に描いていたんです。

通勤電車の中の人から見えるように。

しかもキースのすごいところは、すっかり彼が売れっ子になってスターになってからも地下鉄に描いていたんです。

小さい頃からとにかく絵を描くことが好きで、いつでもどこでも、そしてどこにでも描いていた

愛に溢れたキース。

うちの生徒さんにもとにかくいつも絵を描いている素敵な子がたくさんいますが、

重なるんですよね。

キース・ヘリングの人柄を表すエピソード

高校時代のキース・ヘリング

高校生の時のエピソードです。

***

絵で一等賞をとりました。

お金持ちの夫婦がキースの絵を買いたいと言いました。

でもキースは言いました。

「僕の絵が好きなら どうぞ家に飾ってください。ただです」

妹たちは驚きました。

「どうして、お金をもらわないの?」

キースは、肩をすくめただけでした。

絵が描ければそれでよかったのです。

(絵本 キース・ヘリング〜ぼくのアートはとまらない!/評論社 より)

罰金を払ってまで描き続けたキース・ヘリング

大人になって、キースはニューヨークの荒んだ地区に住んでいましたが、

ある日、長い壁の前に落ちているゴミ20袋分を拾ってかたずけて、

その壁に笑っている顔や踊っている人の絵を描きました。

近所の人が絵を気に入ってキースにお礼を言いましたが、

警察官が来て注意しました。

「ここに描いたら罰金だよ」

キースは、罰金を払って描き続けました。

(絵本 キース・ヘリング〜ぼくのアートはとまらない!/評論社 より)

満足にご飯を食べられない子どもたちに、このお金はあげるんだ

展覧会でキースの絵は売り切れました。

ギャラリーのオーナーが聞きました。

「売ったお金はどうするの?」

キースは言いました。

「満足にご飯を食べられない子どもたちに、このお金はあげるんだ。

僕はお金がなくても幸せだよ」

キースはアートが金持ちのものだけではなく、誰でも楽しめるものという考えを持っていたので、

ストリートに描き続けました。

(絵本 キース・ヘリング〜ぼくのアートはとまらない!/評論社 より)

子どもの病院に絵を描いたキース・ヘリング

世界中から絵のオファーがくるようになりました。

パリに行った時、子どもの病院に絵を描きました。

みんなが見ることができるように、

6階立ての建物の壁に描きました。

新聞記者が訊ねました。

「どうして病院に描いたのですか?

絵で病気が治ると思いますか?」

キースには、答える時間が

ありませんでした。

(絵本 キース・ヘリング〜ぼくのアートはとまらない!/評論社 より)

もう、このころ、キースは 自分の死期が近いことを

悟っていました。

キースは、子供の病院や孤児院、保育園のためにも作品を作ったり、
学校や博物館で子ども向けのアートのワークショップも行っています。

自由の女神が100歳になった時、

900人の子供達と一緒に女神の絵を描きました。

「なんでも好きなように描いていいよ。

いいとか悪いとか、決まりはないよ。

君たちの自由だ」

キースはいつでもどこでも絵を描きました。

「どうして???」

キースはちょっとだけ手を止めて答えました。

「いつも絵を描くのは、空っぽのところを絵でいっぱいにしたいから。

誰にでも絵をあげるのは、世界がもっと素敵な場所になってほしいから。

どこにでも描くのは、アートは誰にでもみんなに必要だから」

そう言ってキースはまた

描きつづけました。

(絵本 キース・ヘリング〜ぼくのアートはとまらない!/評論社 より)

みなさん、キースの生き方から、何を感じましたか?

キースヘリング ぼくのアートはとまらない!というタイトルの絵本ですが、

ぼくの愛はとまらない!にしてもいいのではないかと思いました。

日本、東京、表参道を愛したキース・ヘリング

キース・ヘリング展
キース・ヘリング生誕60年記念 特別展/キース・ヘリングが愛した街 表参道 ポスター

2018年、東京、表参道ヒルズで、キース・ヘリング生誕60年記念 特別展/キース・ヘリングが愛した街 表参道 が開催されました。

ぼくも行って来ましたよ。愛用していたキースヘリングのリュックを背負って。

キース・ヘリング生誕60年記念 特別展/キース・ヘリングが愛した街 表参道
絵と同じポーズを取ればよかったなぁ(笑)

この展覧会では、1988(昭和63)年1月24日にキース・ヘリングが来日した際に表参道の歩行者天国で路上にチョークでドローイングしている写真約30点が公開されていました。

表参道の路上に描いているキース・ヘリング。なんと事情を知らないお巡りさんに注意されたそう。そりゃそうだ(笑)

この時期って、ライバルであり親友のバスキアが亡くなってショックを受けていたり、自分がエイズと知っていた頃なんじゃないかと思います。

焦りや複雑な想いを抱えていたと推測します。

平和への想いが人一倍強かったキース、こんな作品も展示されていました。

広島で開催された平和祈念コンサート「平和がいいに決まってる!!」

のために白いハトをイメージして描いたポスター(1988年)。

偶然にもこのブログを書いている今日は8/6、広島に原爆が投下された日です。

黙祷しました。

戦争は必要悪なんかじゃなくて絶対悪です。

その他にも、自費で2万枚プリントしNYセントラルパークで配布したという「核放棄のためのポスター」や「Free South Africa」などの作品が並び内容の充実した展覧会でした。

全然関係ないですが、偶然バッタリ中学生時代の友人に会いました 笑

キース・ヘリング〜まとめ

キースヘリングはこんな画家でした。

・アートは富裕層のものではなく、みんなのものだから地下鉄に描きました。
・いつでもどんな時どんな場所にも描いていました。
・子どもたちや平和のために描きました。

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