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芸大、美大を目指すとどうなる?美術予備校って?
2020/10/15

こんにちは、ひでるです。

アルティキッズの子は、みんな素晴らしい創造性を持っている子ばかりなので、将来芸術家になって大活躍する子もたくさんいると思います。

芸大、美大に入る子もいると思うので、今日は予備知識として芸大、美大を目指した僕自身のキャリアを書きますので少しでも参考になればと思います。

誤解なきよう先に言っておくと、画家、芸術家になるために美大や芸大を目指すのは必須ではありません。

芸大、美大を目指す上で欠かせないのが美術予備校です。
独学で芸大美大に受かることは相当難しいです。

美術予備校の講師は芸大出身者が多く、芸大じゃないと意味ないよ!みたいなことを言われて、18歳くらいの多感な子たちにそんな風潮がすりこまれるのですが、
結果からいうと、そんなことありません。

美大を出なくたって売れっ子の画家、芸術家になることはできます。
現代では様々な形での売れっ子アーティストがいますよ。

芸大を目指したあげく10浪もして受からずあきらめた人もいます。
そんなふうに人生の貴重な10年間を棒に振ってしまう人もいるので、
美術予備校講師の罪は非常に重いと個人的には思います。

まぁ僕は芸大に三回落ちてるのであんまりえらそうなことは言えませんが 笑

僕は小さいころから絵が好きで
幼少期からお絵かき教室に通わせてもらっていた子どもでした。

そして、美大を目指しはじめた高校二年生のとき。
おちゃのみず美術予備校の冬季講習会というものに通わせてもらって芸大、美大に受かるための絵を学びました。
ここでは、静物の油絵を描きました。
自分ではいい絵が描けたと思ったけれど、講評では全然評価されませんでした。
ショック!なんでやねん!と思ってました。笑

いままではいつも絵だけはほめられてきましたから。

受験のためのいい絵っていうの何か違うんだーとにわかに実感。

高3で本格的に美術予備校に通いました。
千葉県人の僕が通ったのは
船橋美術予備校というところでした。
とってもちいさいな予備校でしたが、芸大合格者をたくさん輩出
している予備校でした。

学校が終わってからの3時間、毎日絵を描きます。
石膏デッサン、静物画、人物画、
裸婦デッサンも初めて体験します。
だいたい、一週間で一枚描き、最後に講評の時間があります。

初めてのデッサン。ここでも、
自分ではとてもうまく描けたと思った石膏デッサンが全く評価されません。
なんでだー。
あとで思えば、光を追えていなくてグラディエーションの幅が全然なかったし、レリーフみたいな絵になって立体感もなかったし、そりゃそうだ
って感じなんですが 笑

当時の話ですが、芸大は、毎年受かる美術予備校
がなぜかおおまかには決まっていて、

すいどうばた美術学院予備校の生徒ばかりが受かる時代が続いていました。

美術予備校によって作風がガラリと違ったりするんです。
(作風だけじゃなく、大人の事情もあったようです)

そして高3の春、
芸大、ムサビ(武蔵野美術大学)、タマビ(多摩美術大学)をうけましたが全部撃沈。

ショックではありましたが、もともと美大に合格するのに一浪くらいするのは当たり前と思っていたところもあり、それほどのショックではありませんでした。
今思うと何がなんでも現役合格!という気概が足りなかったのかも。

そして一浪します。
毎日ひたすら絵を描く日々、
あとから思うと、人生でこんなに絵だけに集中する日々ってなかったと思います。
仲間たちと切磋琢磨、研鑽しながら送る、悔しいこと、苦しいこともありながらも充実した素晴らしい日々でした。

そして多摩美に合格しました。

晴れて美大生生活がはじまりましたが油絵科はのーんびりしたものでした。
デザイン科の学生はカリキュラムに追われて忙しそうですが、
油絵の生徒はカリキュラムがゆるくてのんびり。

これじゃだらだらと時間が流れて社会不適応者がたくさん輩出されていくのも納得。

タマビを卒業してから
船橋美術学院から今度は夏期講習の講師としてよばれました。
そうしたら当時すでに4浪だった先輩が5浪になってまだいました。

めちゃくちゃうまいので、一浪で入ったぼくが教えることなんか特になくて、いやおこがましくて、世間話だけしてすませていました 笑

多浪した人に多いパターンとして、
うまいけど、つまらない絵におちいってしまうことが多いのです。

さて、いよいよ卒業して大変な日々がはじまるのですが、

長くなってしまいました。
今日はここまで。続きはまたー

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